競馬の歴代最強の逃げ馬9頭を紹介!記憶と記録に残る最強馬は一体どの馬か?

過去の最強の逃げ馬9頭を解説

歴代の最強の逃げ馬は?と問われると、競馬ファンにとってはそれぞれの馬達に思い入れがあるため、どの馬が歴代最強の逃げ馬なのかは人それぞれだと思います。

この記事では数多くの名馬と言える逃げ馬の中から、主に競馬史上に残る記録を作ったという視点から、歴代の最強と言える逃げ馬を解説していきます。

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記録と記憶に残る最強の逃げ馬キタサンブラック

キタサンブラック(引用元:https://jra-van.jp/fun/memorial/2012102013.html)

まず最初に最強の逃げ馬として紹介するのはキタサンブラックです。
2017年まで現役だったこともあり、逃げ馬として多くの競馬ファンが記憶に残る最強の逃げ馬の1頭といってもよいのではないかと思います。

キタサンブラックは当時キタサンの冠名で馬主となっていた歌手の北島三郎氏の所有馬であり、菊花賞を勝ったことで北島氏に初の中央GⅠ制覇の栄誉をもたらします。
それまでは逃げ馬というよりも先行脚質が中心の馬でしたが、それ以降逃げ馬として大レースで大活躍することになります。

生涯成績GⅠ7勝という実績は、シンボリルドルフ・テイエムオペラオー・ディープインパクトなどの歴代の名馬と並ぶ勝利数を誇ります。
この偉大な記録を逃げで達成しているという点が、キタサンブラックが最強の逃げ馬と呼べる大きな理由です。

多くの競馬ファンの記憶に残る最強逃げ馬サイレンススズカ

サイレンススズカ(引用元:https://www.jra.go.jp/gallery/column/syouzou/pdf/2019-12.pdf)

次に紹介するのはサイレンススズカです。
この馬も多くの人の記憶に残る最強の逃げ馬ではないかと思います。

当時の競馬ファンの誰をも魅了した圧倒的な大逃げは、稀代の快速馬であり最強の逃げ馬として多くの競馬ファンに現代でも知られています。

競馬には「鈴をつける」という専門用語がありますが、これは逃げ馬を楽に逃げさせないために、先行馬が逃げ馬に競りかけていくことを意味します。

しかし「サイレンススズカに鈴をつけるのは不可能」と言われるほど、競り欠けるのが困難なぐらい2番手以下の馬を突き放し、さらには「逃げて差す」というOPクラスの差し馬と同様の末脚を後半で発揮する力を持っているという、当時ずば抜けたスピードを誇っていた歴代の最強逃げ馬です。

この馬は多くの競馬ファンがご存じの通り、1998年の天皇賞秋で予後不良となりこの世を去りますが、タラレバがつきものの競馬の中でも、この馬が種牡馬として子孫を残すことができれば、日本の競馬会は大きく変わっていた可能性も高いといえます。

GⅠ実績は1998年の宝塚記念での勝利のみと記録という点ではキタサンブラックと比較しても大きく劣りますが、サイレンススズカは最強の逃げ馬として競馬ファンの記憶に残る最強の逃げ馬の1頭です。

記録に残る最強の逃げ馬7頭

上記の2頭は現代の競馬ファンであれば誰もが認める最強の逃げ馬と言えますが、それ以外の最強の逃げ馬を挙げると逃げ馬のランク付けは個人の主観で異なります。
ですからここでは記録という視点から、最強といえる逃げ馬を7頭紹介していきます。

タップダンスシチー

タップダンスシチー(引用元:https://jra-van.jp/fun/memorial/1997110043.html)

タップダンスシチーは5歳になって有馬記念2着、6歳でGⅠジャパンカップ制覇、7歳で宝塚記念を制覇し凱旋門賞挑戦した後、有馬記念2着や8歳で金鯱賞3連覇を達成しています。

タップダンスシチーは大器晩成の馬として競馬ファンには知られていますが、この中でも記録として偉大なのは6歳で制覇したジャパンカップです。

1984年のグレード制導入以降の最大着差である9馬身差という「GI史上最大着差記録着差」を、逃げ馬としてジャパンカップで樹立しており、1984年以降では現在でも同年にシンボリクリスエスが有馬記念勝利時に達成した記録と並ぶ最大着差記録として残っています。

競馬ファンのイメージとしてはこの馬はジャパンカップの記録から、逃げ馬として認識されることが多いですが、スタートから必ずしもハナを切り逃げるのではなく、展開によっては道中は番手に控えつつも緩みの無いミドルペースを維持するレースを得意とします。

通常逃げ馬は向こう正面あたりでペースをスローに落としますが、緩みないペースで走ることで3コーナー手前から逃げ馬を捕まえてそのまま先頭でレースを押し切るという、強いレースを行うのがタップダンスシチーの最大の特徴です。

この緩みのないペースによって多くのレコードを記録しており、2004年の金鯱賞ではサイレンススズカが記録したコースレコードを塗り替え、さらには2004年有馬記念や2005年ジャパンカップでは、同馬のハイペースの逃げによって日本レコードが記録されています。

このように「GI史上最大着差記録着差」という記録と、多くのコースレコードや日本レコードという記録に貢献している点から、タップダンスシチーは最強の逃げ馬の1頭と言えるのではないでしょうか。

テスコガビー

競馬のレースでは10馬身差を超える着差では「大差勝ち」と表記されますが、1984年グレード制導入以降のGⅠレースでは上述の通り現在でも9馬身が最大着差です。
そして現在記録に残るGⅠ級競走の大差勝ちは以下の通りです。

1938年 天皇賞秋 ヒサトモ
1943年 菊花賞 クリフジ
1947年 優駿牝馬 トキツカゼ
1968年 天皇賞春 ヒカルタカイ
1975年 桜花賞  テスコガビー

この5頭の中でもテスコガビーは最も新しいともいえる馬となり、1975年桜花賞以降GⅠレースでの大差勝ちは現在まで記録されていません。

テスコガビーの大差勝ちが偉大な記録と呼べる理由は、他の4頭の大差勝ちは最低でも2400mという長距離で形成されているのに対し、マイルという比較的短い距離で大差勝ちを記録している点にあります。

最後に馬がバテやすい長距離ではなく、マイルという短い距離で道中は他馬を寄せ付けず、最後の直線では大きく突き放して勝った同馬の逃げは、大差勝ちという記録からもわかるように最強の逃げ馬の1頭と言っても過言はありません。

セイウンスカイ

セイウンスカイ(引用元:https://jra-van.jp/fun/memorial/1995107393.html)

競馬で最強の脚質である「逃げ」ですが、逃げ切るためには人馬一体の高い集中力が要求され、特に長距離のレースでは馬の集中力を持続させるのは困難であることから、逃げ馬は長距離では馬券的には敬遠されがちです。

セイウンスカイは1998年の菊花賞を逃げで制した馬ですが、このセイウンスカイ以前に逃げでの菊花賞制覇をしたのは1959年のハククラマまで遡ることになり、約38年ぶりとなる逃げでの菊花賞制覇という快挙を同馬は達成することになりました。

この38年という長い間隔から菊花賞で勝つためには逃げが敬遠されていたことが推測できますが、当時のセイウンスカイと鞍上横山典騎手は、このレースを最初の1,000mを60秒を切る異例のハイラップで刻み、道中2,000mまでは64秒台まで落とした後、最後の1,000mを59.3秒で走るという形で勝利を収めています。

上述の通り長距離では高い集中力を持続することが要求されますが、同馬の高い集中力はこの変則的なラップから伺うことできます。

約38年ぶりの偉大な記録と、変則的ともいえるラップから長距離を勝つために必要な集中力の高さが伺えることから、セイウンスカイは特に芝の長距離では最強の逃げ馬の1頭であるといえるのではないでしょうか。

メジロパーマー

メジロパーマー(引用元:https://www.jra.go.jp/gallery/column/syouzou/pdf/2021-12.pdf)

メジロパーマーは1992年の宝塚記念・有馬記念の両グランプリを逃げで制覇した名馬ですが、この馬はなんといっても障害上がりでGⅠを勝ったという、唯一無二ともいえる異質の記録を持っています。

現役時代メジロパーマーの実力に関しては疑問視する声も多く、宝塚記念を勝っているのにも関わらず、同年の有馬記念ではフロック視され、ブービーの15番人気での勝利となりますが、このレースでも同馬の大逃げにより騎手達が展開判断を誤った偶然による勝利と思われてしまいます。

ですから年が明けて初戦となる阪神大賞典でも、1番人気ではなく3番人気に支持されていることになりますが、その期待を裏切るようにレースをレコード勝ちします。

そして本番の天皇賞春ではライスシャワー・メジロマックイーンという、当時最強のステイヤーを相手に3着に逃げ粘ることで、ようやく競馬ファンにメジロパーマーの逃げ馬としての本当の実力が証明されます。

同馬に関しては父メジロイーグル、山田秦誠騎手とのコンビ、ダイタクヘリオスとの大逃げなど、豊富なエピソードがあることから、個性的な逃げ馬として多くの競馬ファンに現在でも知られていますが、やはり障害帰りでGⅠを勝という快挙は、今後最も達成が困難な偉大な記録です。

この達成が困難な偉大な記録を樹立したという点から、メジロパーマーは最強の逃げ馬に相応しい1頭です。

ダイワスカーレット

ダイワスカーレット(引用元:https://www.jra.go.jp/gallery/column/syouzou/pdf/2017-04.pdf)

2000年以降に限ると現在4頭の牝馬が有馬記念を制覇していますが、時代を遡れば牝馬による有馬記念は1971年トウメイが制覇して以来空白の時代が続いていました。
ダイワスカーレットはそんな空白の時代の中、2008年に37年ぶりの牝馬による有馬記念制覇を逃げで達成しています。

当時同世代だったウオッカのライバルとしても知られている同馬ですが、生涯成績は全て2着以内という偉大な成績を中距離オープンクラスのトップクラスのレースで引退まで維持しています。

またダイワスカーレットはレース展開に応じて逃げ・先行を使い分ける器用な脚質が特徴でしたが、これはサイレンススズカのような大逃げと異なり、スピードに任せて前を走った結果、時には逃げとなりまた時には先行となっていたとも言われています。

レースとしてもウオッカ・ディープスカイと名勝負を演じた2008年天皇賞秋も見どころがありますが、やはりこの馬一番のレースは、結果的に最後のレースとなり記録を達成した2008年の有馬記念です。

このレースで逃げた同馬は並みいる強豪馬を寄せ付けることなく、最後まで先頭を駆け抜ける圧巻のレース内容で、37年ぶりの記録を樹立します。

同馬以降、ジェンティルドンナ・リスグラシュー・クロノジェネシスと、いずれも名牝と呼べる牝馬が有馬記念を制していますが、牝馬による1番人気という厳しい条件の中、他馬を寄せ付けない圧巻の逃げで有馬記念を制覇したダイワスカーレットは、記録と記憶に残る最強の逃げ馬の1頭です。

プリティキャスト

プリティキャスト(引用元:facebook)

天皇賞秋は1983年までは春と同じく芝の3200mで開催されていました。
この3200m時代に天皇賞を制覇した春秋合わせて牝馬は11頭いますが、プリティキャストは1980年の天皇賞秋を圧倒的な大逃げで、後続に7馬身差をつける逃げ切り勝ちを収めています。

天皇賞秋の牝馬による制覇は17年後のエアグルーヴの同レース制覇以降、合計5頭が牝馬による同レースの制覇を記録していますが、この1980年プリティキャストを最後に、芝3200mのGⅠレースを制覇した牝馬は出ていません。

ただでさえ牝馬が勝のが大変なレースを制覇したことに加え、逃げ馬が勝つのが最も困難な長距離レースを大逃げで制覇している点が、同馬の記録の偉大さを物語っており、それ以降に達成した馬が出てきていないことを考慮すると、最強の逃げ馬に相応しい1頭であるといえます。

ちなみに同じ長距離レースである菊花賞の牝馬による制覇に関しては、1947年のブラウニーによる制覇を最後に記録が途絶えており、また現在でも3200mを走る天皇賞春に関しては、1953年のレダ1頭が牝馬による制覇を記録しています。

昔と比較すると現在はレース体系が整っているとはいえ、いかに牝馬が長距離レースを勝ち抜くのが難しいかを、この記録が物語っていると言えるのではないでしょうか。

スマートファルコン

スマートファルコン(引用元:https://jra-van.jp/fun/memorial/2005100097.html)

スマートファルコンは中央競馬に所属ながらも、3歳の夏のOPクラスのレース勝利を最後に、中央では一切走ることなく現在でもトップクラスが集う地方のダート重賞を勝ち続けた異質の経歴を持つ逃げ馬です。

5歳以降武豊騎手が主戦として騎乗するようになると逃げの成績が安定し、JBCクラシックで当時地方所属ながらもダートトップクラスの1頭であるフリオーソに初めて勝ち念願のGⅠ制覇を達成すると、暮れの東京大賞典でもフリオーソを相手にレコード勝ちを収め、同馬のダートでの快進撃が始まります。

翌年の帝王賞では中央のダート界トップの一角であり、当時砂のタップダンスシチーとも呼ばれていたエスポワールシチーを相手に9馬身差の圧勝し、この時の逃げて差すというレースから武豊騎手自身からも「ダートのサイレンスズカ」という発言が飛び出します。

翌年も中央の最強馬の一角トランセンドをJBCクラシックで下し、直接対決で最強馬達を確実にねじ伏せたことで、誰もが認める現役ダート最強馬の称号を手にします。

同馬は才能が開花して以降、常に1番人気を背負う宿命でしたが、人気を背負う中でも常に先頭を維持し、直線では逃げながらも大きく突き放すという「逃げて差す」レース振りは、ダートレースでは最強の逃げ馬の1頭として誰もが納得するのではないかと思います。

現役の最強逃げ馬達

これまで紹介した逃げ馬はいずれも現役を引退していますが、ここでは2022年現在で現役ながらも今後も最強の逃げ馬として活躍が期待されている馬を3頭紹介します。

パンサラッサ

パンサラッサ(引用元:https://world.jra-van.jp/db/horse/H1013361/)

2021年の福島記念を大逃げで制覇し、有馬記念は直線失速するも翌年の中山記念を大逃げで勝利し、平成には個性派の逃げ馬として競馬ファンから人気のあったツインターボのように、前半1000mの通過タイムが57秒台という圧倒的ハイペースで飛ばすことから、令和のツインターボと呼ばれていたパンサラッサ。

中山記念の次に目標としていたドバイワールドカップを逃げで制覇し見事GⅠウイナーとなったことで、今後競馬ファンからはツインターボではなく、むしろサイレンススズカに匹敵する最強の逃げ馬として大きな注目を集めています。

古馬になってからは逃げたレースでは負けた有馬記念以外は成績が安定しており、有馬記念の敗因を距離と見るのであれば中距離では最強の逃げ馬としてまだ未知の可能性を秘めているだけに、今後とも注目していきたい現役の最強逃げ馬の1頭です。

タイトルホルダー

タイトルホルダー(引用元:https://world.jra-van.jp/db/horse/H1014040/)

タイトルホルダーは2021年の菊花賞をセイウンスカイ以来の逃げで勝ち、横山典弘騎手と横山武史騎手との親子2代に渡る菊花賞制覇も話題になりました。
同馬は2022年も天皇賞春を逃げて勝ったことで、横山親子3代による天皇賞制覇という偉大な記録を達成しています。

前哨戦の日経賞では0.1秒差の辛勝でしたが、菊花賞・天皇賞春ともに3,000mを超える長距離では2番手以降を大きく突き放して勝っており、やはり長距離という視点からは現役最強の逃げ馬です。

今後はメジロマックイーンが惜しくも逃した天皇賞春3連覇という偉業を目標に、長距離戦線での逃げ馬としての活躍が期待されます。
これまでも数多くの記録を築いているだけに、多くの競馬ファンの前で初の天皇賞春3連覇の偉業達成に期待したいところです。

ジャックドール

ジャックドールは2022年の金鯱賞をレコードで勝ったことで、令和のサイレンススズカと話題になりましたが、レコードの反動からか本番の大阪杯は5着と奮いませんでした。

レーススタイルはどちらかというとサイレンススズカよりも、タップダンスシチーやダイワスカーレットに近いレーススタイルですが、2022年金鯱賞では逃げで直線では他馬を突き放すという、文字通りの逃げて差す競馬は現役最強の逃げ馬の1頭として競馬ファンの脳裏に大きく刻まれることになりました。

同馬は2022年前半時点でGⅠは未勝利ですが、今後は中距離戦線でぶつかるであろうパンサラッサとジャックドールの対決には、現役最強逃げ馬を決める上で目が離せません。

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まとめ

いかがだったでしょうか?
歴代の最強の逃げ馬について紹介してきました。

競馬ファンであれば誰もが認める歴代の最強逃げ馬としては、やはりキタサンブラック、サイレンススズカが挙げられるでしょう。

2022年現在も現役で活躍するパンサラッサ、タイトルホルダー、ジャックドールも非常に魅力的な逃げ馬たちです。
逃げ馬たちの今後の更なる活躍にも目が離せませんね。