競馬は血統がとても重要!ニックスと黄金配合について徹底解説!

競馬は血統がとても重要!ニックスと黄金配合について徹底解説!

競馬の中継や出走表を見ていると、競走馬が紹介される際に必ず父馬と母馬の名前も同時に紹介されています。
競馬をあまり知らない人は、なぜ両親の名前を紹介するのか不思議に感じるのではないでしょうか。

実は競馬にとって、その馬が誰と誰の子供なのかを知ることはとても重要で、近年では血統を予想に含めるのが当たり前になりました。
本記事では血統に関する用語のひとつ、ニックスと黄金配合について解説します。

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競走馬の能力は血統で決まる!

競走馬の能力は血統で決まる!

競馬は別名ブラッドスポーツと呼ばれています。
その理由は競走馬の能力は先代やその前の世代の能力を色濃く受け継ぐためで、高い能力を有し、優れた成績を残した競走馬の子供は高い能力を持った競走馬になりやすいからです。

そのため、新たな競走馬を繁殖させる種牡馬や繁殖牝馬は、現役時代に重賞、特にG1レースを制したことがある競走馬がほとんどで、特にG1レースを複数制した種牡馬の場合はシンジケートが組まれるほど種付の依頼が殺到します。

ニックスと黄金配合の意味について

ニックスと黄金配合の意味について

競馬におけるニックスとは、競走馬を誕生させるに際して他の組み合わせよりも優秀な競走馬が誕生する可能性が高い組み合わせの事を指します。

ニックスは成功例を元にして提唱される法則なので、実際に試していない状況で「AとBの組み合わせで誕生した競走馬は高い能力を持つ可能性が高い」と新たなニックスを発案する事はできません。

また、たとえニックスと思われる組み合わせが見つかったとしても、その組み合わせ通りにやれば必ず優秀な競走馬が誕生するというわけではなく、中には1勝もできないまま引退していくような競走馬が生まれる事も当然あります。

ひとつの新たなニックスを提唱できるようになるためには、何十回という種付けをおこなわなければなりません。

そしてニックスと同じような意味合いの言葉に「黄金配合」と呼ばれるものがありますが、この言葉はとある配合で誕生した競走馬たちが歴史に名を残すような活躍をしたからです。
どのような組み合わせかについては後ほど詳しく解説します。

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代表的なニックスをいくつか紹介!

代表的なニックスをいくつか紹介!

長い競馬の歴史のなかではさまざまなニックスが誕生しましたが、ここでは特に近年競馬界を席巻したニックスについていくつか紹介していきます。

父ディープインパクト×母父ストームキャット

恐らく日本国内のニックスの中ではもっとも有名ではないでしょうか。
お父さんであるディープインパクトは改めて説明する必要がないほどの実績を残している名馬中の名馬です。

いっぽう母父馬であるストームキャットは現役世代時にはそこまで好成績を残さないまま引退しましたが種牡馬としてはとても成功しており、日本国内でも数々の重賞勝ち馬を輩出しています。

キズナ

絆は武豊騎手が騎乗し、ちょうど日本が東日本大震災に見舞われた時期に活躍した競走馬です。
デビュー前から非常に高い評価をされていた馬で、キズナという名前はオーナーが元々現時点でもっとも能力が高い馬に与えようと決意しており、当時「キャット」と呼ばれていた馬にこの名前がつけられ、キズナという名前の競走馬としてデビューしました。

この時期、武豊騎手は絶不調であり、勝利数はピーク時の3分の1にまで落ち込んでいましたが、そんな武騎手をキズナの主戦騎手に選んだのはこれまで日本競馬界をけん引していた武騎手がこれ以上落ちていくのを何としても食い止めたかったからであり、キズナだけではなく所有馬を積極的に武豊騎手に騎乗してもらうよう融通していました。

3歳時は当然クラシック出走を目指していましたが、賞金が全く足りず、皐月賞には間に合いそうもありませんでした。
そこで照準をダービーに合わせ、その前に開催された重賞「毎日杯」に出走します。

実は毎日杯は武騎手が落馬したレースであり、陣営の中には毎日杯を回避したほうが良いのではという声もありましたが、武騎手は出走を決意、結果は3馬身差の圧勝します。

実はこのレースの賞金で皐月賞の出走権を獲得したのですが、当初の予定通りダービー出走に向けた調整を継続しました。
ダービー出走前には京都新聞杯に出走、このレースでも勝利したキズナはいよいよダービー本番を迎えます。

ロゴタイプ、エピファネイアといった強力なライバルが出走するなか、キズナはなんと1番人気に推されます。

ダービーの最終直線、キズナは14番手から大外に出して一気にスパート、のこり200mで武騎手が合図を送ると他の馬とは一線を画するような末脚を披露し、先行していたエピファネイアを差し切ったのち、さらに半馬身差をつけてゴール、見事ダービーを制しました。

この勝利によって武騎手はダービー5勝目を達成、さらに復活するきっかけともなる勝利となったことから、このレースは自分にとってのターニングポイントになったと後に語っています。

ラヴズオンリーユー

ラヴズオンリーユーを競り落としたのは、この年から競走馬事業に参入したDMM.comで、購入価格1億6,000万円はこの時セレクトセールで取り引きされていた1歳牝馬の最高額でした。

馬名のラヴズオンリーユーは、母馬がラヴズオンリーミーだった事、そしてこの馬の馬主が一口数万円単位の「超小口馬主」であるため、多くの馬主によって支えられていることから、「みんなへの愛を込めて」といった意味合いも込めての命名だったそうです。

当初は初夏のデビューを予定していたのですが、調教師はこの馬は成長が遅いからデビューは遅らせた方が良いと進言、この案が採用されて11月デビューとなります。

デビュー戦、2戦目と連勝し、3歳には一戦挟んで桜花賞へ出走させる予定でしたがアクシデントが発生して桜花賞出走は諦めざるを得なくなりました。

そこでオークス出走へと目標を変更し、その前にまだ調整途中の段階で4月に開催されるわすれな草賞に出走、6割程度の出来でしたが、相手に恵まれた事もあってここを圧勝、一躍世間から注目される存在となりました。

オークスは、これまでで最高の状態での出走が可能となり、無敗である事、桜花賞馬のグランアレグリアが出走しなかった事もあって1番人気となりました。

レース終盤の直線ではカレンブーケドールが絶好のタイミングで抜け出し、誰もがそのまま勝つだろうと思うほどでしたが、ラヴズオンリーユーは猛追、激しい競り合いのなか最後はラヴズオンリーユーがクビ差で勝利、G1レース初制覇を果たしました。

その後4歳時は1勝もできませんでしたが、調教師の予言通り、5歳になってから本格化を遂げます。
まず京都記念で1年9ヶ月ぶりの勝利を挙げると海外へ遠征、ドバイシーマクラシック3着を経て香港へ行き、クイーンエリザベス2世カップへ出走、ここには無敗三冠牝馬デアリングタクトも出走していましたが、直線での競り合いを制して見事にG1レース2勝目を飾ります。

その後札幌記念を経てアメリカのBCメイリー&メアターフに出走、このレースはアメリカの芝コース最高峰のレースだったのですが、ラヴズオンリーユーはこのレースを優勝、日本の調教馬では初の快挙となり、当時大きなニュースとなりました。

そして12月に引退レースとして香港カップへ出走、ここで有終の美を飾り、日本馬としては初めて海外G1年間3勝という偉業を達成したのでした。

父ディープインパクト×母父フレンチデピュティ

フレンチデピュティは、競走馬時代の重賞レース勝利はG2レース1勝のみに留まっていますが、日本に種牡馬として迎えられてからは、現在でもダート界最強の1頭に数えられるクロフネをはじめ、数々の名馬を世に送り出しました。

ディープインパクトとの産駒としては、秋華賞とジャパンカップを制したショウナンパンドラ、ダービーを制したマカヒキが代表産駒です。

父ディープインパクト×母父アンブライドルズソング

アンブライドルズソングは競走馬時代ダートレースで活躍しており、BCジュベナイル、フロリダダービーと2度G1レースを制しました。

ディープインパクトとの産駒には、朝日杯フューチュリティステークスを制したダノンプラチナ、無敗クラシック三冠を達成したコントレイルが代表的な競走馬として活躍しました。

父父ディープインパクトまたはブラックタイド×母父キングヘイロー

近年、母父キングヘイローの産駒が数々の重賞を制しており、ディープインパクトとの産駒にも現役トップクラスの競走馬が誕生しています。

ディープボンド

ディープポンドは主に中距離以上のレースでトップクラスの活躍を見せている競走馬で、お父さんが先ほど紹介したキズナとなっています。

3歳時に1勝クラスの馬ながら皐月賞出走、中2週を経て京都新聞杯に出走後ダービー挑戦という厳しいローテーションの中でもダービーでは5着と健闘、秋には神戸新聞杯、菊花賞と出走しますが、なかなか勝ちきれないまま3歳を終えることになりました。

4歳になると阪神大賞典を勝利し、天皇賞春では2着になるなど、長距離レースで強さを発揮します。
有馬記念では当時最強だったエフフォーリアに一度は並ぶまで追い詰める走りを見せましたが後一歩のところでG1勝利とはなりませんでした。

5歳になって阪神大賞典を連覇、天皇賞春ではまたも2着になるなどこの年もあと一歩及ばず、6歳の天皇賞春でも2着に入り、天皇賞春3年連続2着という珍記録を打ち立てます。

現在G1未勝利馬の獲得賞金としては歴代1位の記録を有しており、シルバーコレクターとして熱狂的なファンが存在します。

イクイノックス

2023年時点で日本競馬界最強のみならず、世界最強馬の称号を与えられているのがイクイノックスです。
直接のお父さんはG1を7勝したキタサンブラックで、キタサンブラックのお父さんであるブラックタイドはディープインパクトのお兄さんにあたります。

新馬戦で2着に6馬身差の圧勝、2戦目には早くもG3レースに出走し、ここでも上がり32秒9という末脚で重賞初勝利を達成します。

3歳になっての初戦はいきなり皐月賞を選択し2着、そして次戦もダービーへ直接出走、ここではドウデュースをマークし、最後は最速の上がりで追い込みましたが、ここでも2着に敗れました。

秋初戦は天皇賞秋に出走、このレースではパンサラッサが大逃げを見せ、後方に控えていたイクイノックスとの差は15馬身以上ありました。
しかし最後の直線で驚異的な末脚で最後はパンサラッサを差し切り、ついにG1初勝利を達成します。

年末の有馬記念でも4コーナーを回ったあたりから一気に前へ進出、そのまま他の馬を寄せ付けない走りで圧勝しました。
そして4歳の初戦、ドバイシーマクラシックで全世界を震撼させる走りを披露します。

スタート直後先頭に立つと、そのまま逃げ馬のような走りを見せ、最後はスピードを緩めたにも関わらずレコードタイムで勝利、このレースを観た日本のファンの中にはあまりの強さに恐怖すら感じる人も出てくるほどでした。

帰国後宝塚記念に出走、ここではこれまでのように圧勝とはなりませんでしたが、追いかけるスルーセブンシーズをクビ差で凌ぎきり、G1レース4勝目を達成しました。

次走は天皇賞秋を予定していますが、このレースにはドウデュースも出走を表明しており、ダービー以来の直接対決が実現するのではと、ファンは期待を寄せています。

父エピファネイア×母父キングカメハメハ

2020年頃に一躍注目を浴びたニックスです。
この配合で無敗三冠牝馬デアリングタクトが誕生し、その他の産駒も軒並み高い勝ち上がり率をマークしています。

ただし、エピファネイア産駒は早熟しやすいという欠点があり、デアリングタクトも牝馬三冠を果たしてからは勝利する事ができずに引退する事となりました。

ニックスや黄金配合を一躍有名にした「ステマ配合」

ニックスや黄金配合を一躍有名にした「ステマ配合」

ニックスが一般の競馬ファンにも有名になったのは「ステマ配合」の馬たちが登場してからではないでしょうか。
ステマ配合は、「ステイゴールド×メジロマックイーン」の略で、この配合によって誕生した産駒の中からG1レースを複数勝利する競走馬が続々と出現し、一時代を築きました。

ステマ配合は強力なニックスであり、特にステイゴールドの馬名から、このステマ配合のことを「黄金配合」と呼ぶようになりました。
今でも強い競走馬が誕生する確率が高い配合を黄金配合と言いますが、黄金配合はこのステマ配合が発端となっています。

ステマ配合について、どのような意図でおこなったのか、代表産駒にはどのような名馬たちが居るのかを解説します。

メジロマックイーンの競走馬時代

メジロマックイーン(引用元:JRA-VAN)

ステマ配合について解説する前に、簡単にメジロマックイーンとステイゴールドについて触れておきましょう。
メジロマックイーンはウマ娘でも主役級キャラとして登場しているので知っている人も多いのではないでしょうか。

未だに長距離限定なら歴代最強クラスの一頭に数えられるほどの名馬です。
クラシック三冠最後のレース菊花賞を制すと、翌年阪神大賞典、天皇賞春を勝利、長距離で無類の強さを発揮します。

翌年にはそれまでレースでは敗北していなかった二冠馬トウカイテイオーと天皇賞春で直接対決、この対決は「世紀の一戦」と評されて大きな注目を集めましたが、結果は4コーナーから共にスパートをかけるもトウカイテイオーは失速、一方メジロマックイーンは後続をどんどん突き放しこの時点では史上初めて天皇賞春を連覇しました。

その後長期休養を挟み、6歳には宝塚記念で優勝、4度目のG1勝利を果たすも、後に繋靭帯炎が発覚します。
治療には最低でも半年かかる事、すでに種牡馬のシンジケートが組まれていたことから、引退する事となりました。

ステイゴールドの競走馬時代

ステイゴールド(引用元:JRA-VAN)

ステイゴールドは、先ほど紹介したメジロマックイーンのような華々しい戦歴はありません。
それどころか重賞初挑戦から28連敗という不名誉な記録を残しているほどです。

しかし、その中で5着以内に入ったレースが22レース、そのうち2着が10回で10回のうち4回はG1レースと、稀代のブロンズ&シルバーコレクターとして熱狂的なファンを獲得しています。

そして最後は引退レースに選んだ香港ヴァーズにて初のG1制覇を成し遂げただけではなく同レースで初めて優勝した日本の競走馬となり、この快挙はドラマのような大団円と評されました。

帰国後はファンからの強い要望で当初予定されていなかった引退式を実施、多くのファンからの祝福を受けながらターフを後にしました。

ステマ配合の狙い

ステマ配合の狙いは、単刀直入に言えば「柔と剛の融合」です。
メジロマックイーンはどちらかと言えばゴムのような柔軟性のある筋肉をしている一方、ステイゴールドは固くて力強い筋肉をしていました。

この2頭を配合させ、柔軟性がある筋肉と固く大きな力を生み出すのに秀でている筋肉とを組み合わせることで理論上は瞬間的な爆発力を生み出しつつ、柔軟性を兼ね備えた理想的な筋肉になります。

クセ馬ぞろいのステマ配合代表産駒

このステマ配合によって誕生した産駒のなかで特に目覚ましい活躍をしたのがドリームジャーニー、オルフェーヴル、ゴールドシップの3頭です。
競馬ファンならば名前を聞くだけで「暴れん坊」というイメージを思い浮かべることでしょう。

人々を魅了する圧倒的な走りを見せる一方、この3頭はいずれもとんでもないクセ馬で、調教師や騎手は制御するのに頭を悩ませていました。

ドリームジャーニー

ドリームジャーニーはお父さんがステイゴールドお母さんがオリエンタルアート(父馬がメジロマックイーン)の配合で、馬名はちちである ドリームジャーニーの香港表記が黄金旅程だったことから連想され、名付けられました。

デビューから2連勝するも、続く重賞初挑戦では出遅れなどが響き初の敗北を喫します。
しかし続く朝日杯フューチュリティステークスでは同じく出遅れたものの、最後は最高峰から一気に前の馬を差し切って勝利、重賞・G1レース初制覇を達成します。

ちなみにこのレースで最も軽い体重(416キロ)での勝利という記録も残しました。
これがステマ配合初のG1勝利であり、ドリームジャーニーのこの勝利を見て、ステマ配合は継続して行われるようになったとのことです。

3歳になり前半のレースではいいところを見せられず、秋以降も神戸新聞杯では勝利するもその後は勝ちきれず、4歳になってからも勝ちに恵まれませんでしたが、8月の小倉記念で久しぶりに勝利します。

5歳になるとサンケイ大阪杯(のちの大阪杯)で重賞レース5勝目を達成、状態が良いことから急遽天皇賞春に参戦すると、ここでも2着に入る活躍を見せます。
そして前半最大の目標であった宝塚記念、最後の直線で抜け出すと後続の追走を振り切って2年ぶりのG1勝利を果たしました。

そして年末の有馬記念、ハイペースなレースになる中でドリームジャーニーは後方で待機、4コーナーあたりで徐々に進出すると、最後はブエナビスタを差し切って勝利、見事春秋グランプリ制覇を果たしました。
その後7歳まで現役を続行するも、闘争心が無くなったという理由で引退、現在は種牡馬となっています。

気性面については、ドリームジャーニーは牧場スタッフを端に追い詰め、噛みついて心を折ることを楽しんでいたそうですが、主戦騎手である池添謙一騎手が好きなだけ噛ませるという態度に出たところ、それを気持ち悪く感じたのか、池添騎手に対しては指示にしあ画うようになったそうです。

しかし引退後はさらに気性面で荒くなり、現役時代には従わせていた池添騎手も「殺されるかもしれない」という理由で遠くからみているしかないと話しています(現在は撫でても大丈夫なほどに落ち着いた)。

オルフェーヴル

オルフェーヴルは先に紹介したドリームジャーニーの全弟なので父馬と母馬はまったく同じになります。
見た目とステマ配合に違わぬ性格から、「金色の暴君」と呼ばれました。

しかしその強さは本物で、ファンの中にはあのディープインパクトより強いと評するファンもいるほどです。
馬名はフランス語で「金細工師」という意味であり、父ステイゴールドと母オリエンタルアートの名前から連想されたものです。

ドリームジャーニーがとんでもないクセ馬だったので、その弟が来るという事で迎え入れる牧場側は戦々恐々だったのですが、入厩当初はとてもおとなしく、「本当にドリームジャーニーの弟か?」と疑う人もいるほどでした。

身体が小さかったため、牧場に来て間もなくのころはほかの馬からいじめられていたらしく、それが周囲に対して攻撃的な性格になった一因であることは間違いないでしょう。

調教も順調に進み、2010年8月にデビュー、あっさりと勝利をしたのですが、ここで関係者の度肝を抜くような光景が繰り広げられます。

オルフェーヴルはレースになるとスイッチがはいるタイプで、勝利後もおかまいなしに斜行し、そのまま鞍上の池添騎手を振り落としてしまいました。
この結果、勝利後の写真撮影ができなくなってしまいます。

2戦目以降はなかなか勝ちきれないレースが続き、平凡な馬で終わってしまうのかと思われましたが、スプリングステークスでは前の馬をまとめて差し切って重賞初勝利、皐月賞の出走権を手にしました。
ここからオルフェーヴルの才能が一気に開花します。

皐月賞ではこれまでの実績から4番人気に留まるも、着差のつかないこのレースで3馬身差の圧勝というパフォーマンスでG1初勝利を達成、この勝ちっぷりで一気にオルフェーヴルの名は競馬ファンに知られることとなります。

続く日本ダービー、1番人気となったものの、不良馬場という馬場状態も影響してか、このレースでは3倍とまだ圧倒的人気とはなりませんでしたが、結果は3着に9馬身差という圧倒的大差をつけて勝利、この勝利でオルフェーヴルの強さを疑うものは誰も居なくなりました。

秋初戦、神戸新聞杯でも格の違いを見せつけて勝利、いよいよ三冠がかかった菊花賞への出走となります。
このレースでの単勝人気は1.4倍で、圧倒的支持を集めていました。

そしてオルフェーヴルは見事その期待に応え、ディープインパクト以来史上7頭目(当時)の三冠馬となります。
感動のウイニングランと言いたいところなのですが、鞍上の池添選手は落とされないようにするのに必死でウイニングランどころではありませんでした。

なんとオルフェーヴルは横ラチに池添騎手のわき腹を叩きつけるという前代未聞の行為をやらかし、またも池添騎手を振り落としたのです。

三冠達成のウイニングランで鞍上騎手を振り落とした馬は後にも先にも出てきていません。
その後の活躍やエピソードについても記載すると長くなるので要約して列挙します。

オルフェーヴルのその後の活躍&エピソード
・菊花賞後に有馬記念も制してG1レース年間4勝を達成(ナリタブライアン以来17年ぶり)
・阪神大賞典にて大逸走後猛追して2着に入線
・凱旋門賞に2度挑戦して2度とも2着(そのうち1回は本気で走っていれば勝てていた)
・引退レースの有馬記念で8馬身差の圧勝

とにかく見ている人を色んな意味で魅了する名馬であることは間違いありません。
ちなみに種牡馬としても活躍していますが、実はダートでの実績のほうが優れており、オルフェーヴル自身もダートコースで何の苦も無く走っていたことから、芝レースでこれだけの成績を残しているにも関わらず、「本当はダート馬なのではないか」と言われるほどです。

ゴールドシップ

ゴールドシップはファンから「ゴルシ」という愛称で呼ばれ、記録以上に記憶に残る名馬でした。
クセ馬ぞろいのステマ配合の馬たちの中でも別格クラスの気性難であり、その性格はウマ娘プリティーダービーにおいてもいかんなく発揮されています。

ゴールドシップの競走馬としての能力を語るうえでまず触れなければならないのは、無尽蔵のスタミナです。

皐月賞で荒れに荒れていたインコースをものともせずに走り、2馬身差つけて圧勝したり、3,200mという超長丁場の天皇賞春で3コーナーあたりからロングスパートを仕掛け、京都競馬場名物淀の坂でもスピードを落とすことなく全力で走って勝利するといった規格外の走りはゴールドシップでなければ成しえることはできなかったでしょう。

また、追い込み一辺倒と思われがちですが、レースでは母父のメジロマックイーンのように先行策で勝ち切ったこともありますし、瞬間的な瞬発力も持っているので、どのような走り方もできる非常に頭の良い馬であることは間違いありません。

しかし頭が良すぎる上にレースに対しての意気込みに非常にムラがあるという、競走馬にとっては致命的な欠点を持っていました。

そのため、厩舎側も騎手も、そして、もちろん馬券を購入していたファンたちも「とにかくやる気を出してくれ」と祈りながらレースを見守っていたというのが実情です。

詳しい説明は省きますが、G1レースを6勝しており、名馬の1頭に数えられることは間違いありません。
そんなゴールドシップによって競馬場が阿鼻叫喚の地獄絵図と化したのが、競馬ファンの中で今でも語り草になっている「120億円事件」です。

その事件は2015年6月28日、宝塚記念のレース中に発生しました。
ゴールドシップはそれまで宝塚記念を連覇しているほか、阪神競馬場では数々の勝利を積み重ねていることから、このレースにおいても単勝1.9倍と圧倒的1番人気になっていました。

パドックでも特にトラブルはなく非常におとなしかったため、多くのファンが史上初の宝塚記念3連覇は間違いないという思いでレーススタートを見守っていたことでしょう。
ところがゲートに入ると突然暴れだし、ゴールドシップは立ち上がるそぶりを見せました。

レーススタートしても収まることはなく、大幅に出遅れた状態でのスタートとなります。
ゴールドシップは追い込みを得意としているので、多少の出遅れは問題ないのですが、さすがに2秒以上の出遅れを挽回することは困難です。

更にこの時のゴールドシップはこの出遅れによってすっかりやる気を失くしてしまい、結局16頭中15位と惨敗に終わりました。
最初の2秒で約120億円の馬券が紙屑となってしまったことから、今でも語り継がれる競馬界屈指の悲劇となっています。

現場は当然騒然とし、悲鳴を上げる人もいたのですが、一部のファンはゴルシらしい行動ということもあって、大笑いも巻き起こっていたそうです。
なお、以下の記録もかかっていたレースなのですが、当然馬券と同じようにすべて消し飛んでしまいました。

・G17勝(当時最多タイ)
・重賞12勝(今でも最多タイ)
・阪神での連対率100%(8戦7勝、3歳以降に限れば無敗)
・勝っていたなら生涯獲得賞金総額が15億を超え当時4位(現在6位)

このレースは、「競馬に絶対はない」という事をファンに文字通り体現してみせたレースといえるでしょう。

その後のステマ配合

以上のように、たった数年でG1複数勝利馬を3頭も輩出した黄金配合、ステマ配合ですが、これ以降はG1レースはおろか、重賞レースに勝利するような馬も出てこなくなり、2015年をもってステマ配合は終結を迎えました。

しかし、ステマ配合がほかの配合とは比べ物にならないほどの結果を残したのは間違いなく、今でもニックスの代表的な配合として今後も語り継がれることでしょう。

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まとめ

ニックスとは競走馬を誕生させる際の父馬と母馬の組み合わせのうち、特に優秀な競走馬が生まれる可能性が高い配合のことを意味します。
現在現役で活躍している競走馬たちのうち、ニックスと呼ばれているのは以下の通りです。

代表的なニックス
・ディープインパクト×ストームキャット
・ディープインパクト×フレンチデピュティ
・ディープインパクト×アンブライドルズソング
・ディープインパクト×キングヘイロー
・エピファネイア×キングカメハメハ

また、現在は種付けが行われなくなりましたが、かつてステイゴールドとメジロマックイーンの血を引く雌馬との配合は「ステマ配合」と呼ばれ、わずか数年間の間にドリームジャーニー、オルフェーヴル、ゴールドシップといった記録にも記憶にも残る名馬たちが続々と誕生した事が大きな話題となりました。
この配合は黄金配合と呼ばれ、競馬界でニックスに注目されるきっかけとなっています。

しかし、ニックスは沢山のチャレンジによって編み出されたものであり、自然に予想して提唱する事ができません。
現在ニックスとして世の中に出回っている配合は厩舎の人たちのたゆまぬ努力によって成立した法則なのです。